昨日は友達のトクさんと久しぶりに飲みながら語り合いました。仙台に出張してた時に会った以来だから、1年以上ぶりだったのかな。ホルモンを食べようってことになって、偶然にも予約した渋谷のお店の名前が徳ちゃん。
トクさんと徳ちゃんにいく・・・
狙ったのならまだしも、結果そうなって、店に着くまで自分も気づいてないもんだから、これ以上恥ずかしいことはない(笑)
久しぶりに会ったとはいえ、もう付き合いも長いし、お互いの話のテンポも勝手知ったるところだし、そもそも二人とも話好きだし、話のギアが入るのに時間はかからない。気づけば1店舗で5時間フルスロットルで話し続けてた。
今までやってきたこと、これからやろうとしていること、今まで話したこともなかったお互いのこと、自分のミッションは何か、お互いのそもそもの原体験は何か・・・会話のキャッチボールをしながら、この数年で積み上げた経験や知識、話題をボールに入れ込んで投げ返すもんだから、終わるころにはおっきなボールになってた。それが楽しかった。これからの人生で、刺激し合い、意識し続ける存在になるんだろうなって思った。
そして、ふと「weekender」の話にもなった。
weekenderというのは、俺と友人の2人で学生時代に盛岡で始めた喫茶店系クラブイベント(?)で、音楽や食事や会話を楽しむことを目的にした学生内輪のイベント。「週末を謳歌する人」という意味を込めてこの名が付いた。このブログを見てくれている人の多くは実際足を運んでくれているかもしれないね。
あの時のweekenderは、俺からしたら、酒を浴びながら、好きなDJ仲間とずっと音楽をかけていられる最高の時間と空間だった。その雰囲気に楽しそうに浸ってくれている人達に囲まれて、俺は幸せだった。自分が楽しまなきゃ、人も楽しんでくれないだろうと、自分の満足をひたすら追求し続けたかもしれない。終わってみたら、反省点やら、もっとこうしたいという欲やらが出続けて、その後も複数回開催したけど、結局反省と欲にキリは無くて、最後の最後まで自分の満足度を充足させないまま、今では休止状態になっている。
トクさんと徳ちゃんにいく・・・
狙ったのならまだしも、結果そうなって、店に着くまで自分も気づいてないもんだから、これ以上恥ずかしいことはない(笑)
久しぶりに会ったとはいえ、もう付き合いも長いし、お互いの話のテンポも勝手知ったるところだし、そもそも二人とも話好きだし、話のギアが入るのに時間はかからない。気づけば1店舗で5時間フルスロットルで話し続けてた。
今までやってきたこと、これからやろうとしていること、今まで話したこともなかったお互いのこと、自分のミッションは何か、お互いのそもそもの原体験は何か・・・会話のキャッチボールをしながら、この数年で積み上げた経験や知識、話題をボールに入れ込んで投げ返すもんだから、終わるころにはおっきなボールになってた。それが楽しかった。これからの人生で、刺激し合い、意識し続ける存在になるんだろうなって思った。
そして、ふと「weekender」の話にもなった。
weekenderというのは、俺と友人の2人で学生時代に盛岡で始めた喫茶店系クラブイベント(?)で、音楽や食事や会話を楽しむことを目的にした学生内輪のイベント。「週末を謳歌する人」という意味を込めてこの名が付いた。このブログを見てくれている人の多くは実際足を運んでくれているかもしれないね。
あの時のweekenderは、俺からしたら、酒を浴びながら、好きなDJ仲間とずっと音楽をかけていられる最高の時間と空間だった。その雰囲気に楽しそうに浸ってくれている人達に囲まれて、俺は幸せだった。自分が楽しまなきゃ、人も楽しんでくれないだろうと、自分の満足をひたすら追求し続けたかもしれない。終わってみたら、反省点やら、もっとこうしたいという欲やらが出続けて、その後も複数回開催したけど、結局反省と欲にキリは無くて、最後の最後まで自分の満足度を充足させないまま、今では休止状態になっている。
※weekenderに来てくれた人が書き残してくれるメッセージ色紙。
トクさんはそんなweekenderの当時の存在意義を今改めて語ってくれた。そして今改めてやるべきだと彼はアツく語ってくれた。自分が学生生活の多くの時間を割いたこのイベントを評価してもらえることは、とてもうれしいことだった。
実は自分自身も最近weekenderをひも解いて、その本質や俺自身の琴線って何かを省みたことがあった。
あの時は自分のかける音楽に体を揺らしてくれる人が増えることがDJとしてのステータスと思ってやってたけど、今振り返ると当時から俺の琴線はそこじゃないなと思った。極端な話、自分が音楽かけないでもよかったんだと思う。大好きな人たちに囲まれて、その人が新たな人を連れてきて紹介してくれる。お酒も入ってるし、大音量の中の会話は、半分聞こえてるけど半分聞こえてないような状態で、だからこそ大きな声出して話したり、時に聞こえたふりで済ませちゃうこともあるけど、肩ひじ張らず、照れることもなくコミュニケーションを楽しめた。
友達の友達はみな友達であり、お店に一歩入った瞬間からお酒や食事や音楽といった手段でアイスブレイクされているような不思議な感覚がそこにあったと思う。そう、weekenderの本質はコミュニティだったんだ。そして、自分のやりたいことはそのコミュニティを作り、そのコミュニティで同じ目線で語り合える人との会話だったんだ。だから、自分の欲に突っ走ってたぶん、魂がこもってたと思う。そんな風に好きなことに邁進することこそが自分にとっての琴線なんだ。そう振り返ったとき、残りの人生をどうやって過ごすのかの道しるべが現れた気がした。好きなことこそ、とことんやってみないと。そう。楽しまないと。
そんなことを考えて、帰宅後ボーっとしてたら深夜に映画『BABEL』がやってた。映画館に見に行ったし、DVDでもみた。あの映画は独特の空気感が好きで、サントラも買ったし、パンフレットも何度も読んだ。この映画は、人間が神に近づこうとして、天まで届くバベルの塔を建てようとしたが、それに怒った神は人々の言葉を乱し、世界がバラバラになったという旧約聖書の逸話をモチーフにしたヒューマンムービー。
この映画を見るといつも思う。
言葉がバラバラでコミュニケーションすら容易じゃなくて、そもそも同じ言語を使っている隣人や友人や家族でさえも、心を通わせることができない世の中で、その中を生きる俺たちは孤独なのかもなって。素直になれなかったり、本音を隠したり、自己防衛に躍起になったり、衝突や摩擦を避けていい加減なことを言ってすませたりする。そして、理解したいとか、させたいと望むこともなく、固定観念やイメージ・ムードで物事を図り、消極的な関係を維持しようとする。結果、それは感情を隠すための言葉になってしまってるんじゃないかって。なのに、思いが伝わらないといって嘆いて、悲しんで、また感情を隠す。
でも、この映画で救われるのはカタルシスとなる終盤で、思いが伝わらないまま終わりを迎えるのではなく、魂の言葉でつながりあう場面が連続するからだと思う。
俺は思いを伝えるのが得意じゃない。建前だけで話してしまったり、素直になれなかったり、人とかかわることが億劫になってしまうこともあった。でも反面、誰よりも饒舌に熱く語っているときもある。そのどちらも同じ俺なのよね。一方は余計な摩擦や衝突を避けている俺で、もう一方は理解してほしい、伝えたいという思いが強い俺。相手やテーマによって自分の熱量を変えてしまっているんだな。
昨日トクさんと飲んで、いつの間にか熱くなって色々喋って、話したことで決意できたことや、自分の考えを整理することができた。トクさんが焚き付けたのか、自分のことを理解してほしいと俺が思ったのか。表面的に着飾った言葉でやり過ごして時間が経過するのを待ったわけではなく、時間の許す限り思いの丈をぶつけ合った。
※トクさんの手には「LOVE weekender」のメモ書きが。
今自分は飢えていると思う。自分のことを理解してほしいって。心を通わせたいって。
そうなれたことで、円滑になったこともたくさんある。そうなれたことで、応援してくれる人もいる。
魂の声で語りかけることの強さを知った今、それをしないのは勿体無いとすら思った。そして既にそれをできている人を心からうらやましく思った。
今、自分の目の前には晴れやかな空が広がっている。
今日の音楽。坂本龍一「Bibo no Aozora」from BABEL
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