言葉を大事にしているつもりなだけに、伝わらないことが歯がゆい

素敵な本に出会った気がします。

気がしますというのは、まだ読み切っていないから。


この手の直感は基本的にハズレることは無く、間違いなく私の大切な1冊になるのでしょう。

エラ・フランシス・サンダースの「翻訳できない世界のことば」。


言葉は便利なのか/不便なのか・・・なんてことをたまに考える事があります。人との関係性に対し、とても敏感で臆病な僕だけに、言葉の選び方にはとても慎重になります。それは時に回りくどいと他人に映る事もあるでしょう。でも、こればかりは昔から変えられない。だから、自ずと人の言葉にも当然敏感になる。


その言葉をあえて選ぶという事は、この人はきっと機嫌が悪いのかな・・・とか、なんでそういう言葉の選択しかこの人はできないのかな・・・とか。そして同時に、言葉の選択の仕方で、その人へのイメージが固まってしまう。極端な話、この人とは仲良くなれないな、っていうレベルまで。





同じ言葉で説明したって、聴いた人が持つイメージは、受取手の数だけ別物なのでしょう。近いものがあっても全く同じものではないはずだ。セロリ風に言えば、それは「育ってきた環境が違う」から。だから、思い描くものも異なる。同じ単語なのに、描くものは違う。そんな言葉のどこが便利なものか。めんどくさい。そう思う時もある。


著者は言う。

言葉の解釈や、そこに秘められた感情や要望などの理解の
ギャップをうめることはそう簡単にはできない


全くのその通りだと思う。宇多田ヒカルがLINER NOTESでこんな事語っていた。

言語って所詮音のつながりで、意味があるようで無い。
そして誰一人として、まったく同じ言葉として捉えている事はあり得ない


僕は、人と繋がる事は好きだ。怖いけど好きだ。その為にコミュニケーションは欠かせない事も分かっている。そのために言葉が必要な事も。でも、頻度の高さやスピードは、誤解を生みやすくなる厄介さも兼ね備える。


言葉ってのは、無理矢理にでも一般化という枠にはめ込むことであるとするならば、それは言葉にしたことで本来の個性や特徴を奪い去ることなのかもしれない。言葉にした時点で、真実が薄れていく事なのかもしれない。そうだとしたら、そもそも言葉に込められたニュアンスの深読みをするような、言葉に一喜一憂することなんて無駄じゃないか・・・なんて、無い頭をフル回転して一人悶々とする事もある。




そんな近しい経験をした事がある言葉フェチにこそ捧げるこの本。翻訳できない言葉だからこそ、言葉の不安定さと言うか、曖昧さを味わい深く感じる事ができます。


うん、眠いな。上手く表現できませんでした。消そうと思ったけど、せっかく書いたから残すことにしよう。


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ぱーそなるえふぇくつ

Personal Effectsとは「私物」のこと。 岩手出身の私“Meloky(メロキィ)”が、気の向くまま・思いつくがままに書き綴るBlog。趣味、家族、仕事、本、食事、音楽について、他にも喜び・憤り・哀しみ・楽しみ・悩みなどの喜怒哀楽や、普段は口にしないような些細な事など、包み隠さず書きなぐるそんな場所。 私のDJ MIX音源もここから聴いていただく事ができますよ。