自分のビジョンって何でしょう

1月から2月いっぱいまで、自分が担当するチームの社員・アルバイト全70名強の面談をするために、北海道や仙台などに出張していました。


すべての時間を面談に費やしたわけではないけど、飛び石で運営拠点を周ったりして、結果2ヶ月かかりました。初めて会う人も多かったので、一人1時間のところ、1時間半~2時間かかることも少なくはなかったのが理由ですが、今後もう少しスリムにできるとしても、会社の制度として、これが年4回あると思うと、なかなかに大変だなというのがGM就任しての本音です。


年の半分をこのチームビルディングに必然的に時間を費やすとなると、これまで1年間でやってきたことを単純計算、半分の時間でやらなくてはいけないわけなので、自分の業務能率化と、自分のアクションのマネタイズ、そして売り上げを作ることの難しさを痛感もするわけです。




こう書くと、あたかも面接が大変だったように見えるかもしれませんが、時間的な圧迫という意味では大変なんですが、個人的にはこんなに楽しいとは思わなかった、というのが偽りのない本音でして。


GMって役職についただけで、面談者の夢とか考えを業務の一環として聴けるなんてすごいよねw初めて会った人に、「あなたの3年後のビジョンを教えてください」なんて、よっぽどの厚顔無恥でなければ、よう聴かんよね。でも、それができちゃうわけです。そして偉そうに「いや、もっとこうしたほうがいい」とか言っちゃうんです。これは間違いなく役得なわけです。


私も苦労しますが、自分の強み/弱みとか、3年後のビジョンとか、しっかりと常々自分を客観視して考えてる人ってそこまでいないわけですよ。だから、みなさん月並みな表現になってしまいがちなんです。当然ながら「ありきたり」なんてことは言えないし、言うつもりもない。でも、その人の成長を促進したい俺の立場としては、ありきたり、もしくは曖昧な目標よりも、具体的にしてあげなくてはいけないという義務感みたいなのも生じるようになりました。


で、どうしたかというと、質問をしまくるんです。

  • どうしてそう思うの?
  • あなたは何を仕事のモチベーションとしていますか?

とかね。




このせいで、1時間で終わらないんだけど、このような質問を続けることで、相手に考えてもらうことができました。結果として、言葉の奥にあった背景や、言葉にできなかった思いの片鱗を見ることができるようになりました。それが、面接をした人の変化の訳だけど、変化したのは彼らだけではない。こんな質問を70名(×60分=約4200分)に行うと、気づいたら自分の質問力が高まっていくことも同時に実感するわけです。あくまで質問がうまくなったというのは主観ですけど、こんな風に自分が変化していったような気がします。


  1. クローズクエスチョンしかできない
  2. (自分が)考えて考えて、オープンクエスチョンにしようと意識するが、聞きたい本質とズレる
  3. オープンクエスチョンができるようになるが、相手が回答を持っている単純な質問しかできない
  4. (相手が)考えなければならない質問ができて、無意識的な(本音?)の思いを引き出せる


いまは、この4段階目だと自分は思うのです。この先にあと何段階あるのかわかりませんが、とりあえず質問という行為において自分はこういう変遷を辿ってきたということ。そして3までの段階と、4の段階では大違いだと感じています。そしてこの4段階目に来たことで、質問という行為が人を動かすために重要だということに改めて気づくわけです。


なぜか?その理由は3つ。※あくまで持論です。それっぽく書いてみた。


一つ。【遭遇(エンカウンター)】脳科学で言うと、人は考えてから話しているようで、実は話したことを自分で聴いて、自分がそう考えているのかと理解するメカニズムなのだそうです。だから、自覚していない自分に出会わせることができるということです。そして決してそれを私は否定しません。


二つ。【動因(ドライブ)】モチベーションの観点で言えば、外因的よりも内因的、かつ、きっかけが外発より内発のほうがアクションの一歩の力強さが大きくなるはずなんです。そう考えると、俺に質問されたから考えているというのは、強いられてるようでもあるんですけど、自分の中にある真の自分がそう考えているんだと内省し、だからやってみようと行動を引き起こすものでなければならないと思うのです。(※内因は自分の好き嫌い/外因は世間的良し悪し。内発は自分がやりたい/外発は他者の後押し、という意味で使っています。)


三つ。【実現(リアライズ)】私が敬愛するダウンタウンの松本人志さんが「お笑い視力」という言葉を使いますが、お笑い論のこれに似ている気がします。

見る対象が遠すぎると何かわからない(=シュールや突飛な笑い)。
しかしながら見る対象が近すぎても、これもまた見え辛い(=ベタな笑い)。
これは笑いにおいてもあてはまる。あまりにも突飛なボケは意味が分からず、 ベタ過ぎるボケは笑いが起きない。なので見る者にとってちょうどいい距離感のボケをしなければ笑ってもらえない。 

この考え方を借りるのであれば、「質問力」は、用意されたような答えを引き出すようなベタな質問であっても良くないし、考えるのも放棄したくなるような質問であっても良くない。ちょっと助けてもらえれば答えられそうというちょうど良い質問こそが重要で、そこにこそ、その人の本質や課題意識が存在するのだと思うのです。

そして、その人が顕在化した本質や課題意識に対してどういう手段で向かい合うのか、どうやって乗り越えていくのかをさらに質問し、時に支援し、考えさせることでその実現にぐっと近いていくように思います。




今挙げた3つができているとは言いませんが、確実に自分が大事と思う「質問力」の方向に向かっている気がします。


そしてこの3に関しては、分野は違えどいわゆる、ミハイ・チクセントミハイの『フローの状態』とかヴィゴツキーの『発達の最近接領域』とも近い気がしていて、この共通項をたどると、「マネジメント」と「教育」の親和性を感じざるを得ないとも思うわけです。






長くなったので、今日はこれで終わるけど、みんなのビジョンを訊くに連れ、自分のビジョンを明確にみんなに示さなくてはいけないのではないかと強く思うようになりました。そもそも自分のビジョンはなんだろうと。それはふと本を読んでいて、目に飛び込んできた一節がきっかけです。忘れないようにメモとしてFBにも投稿したのがこちら。



これについては、また機会あれば備忘録としても書きたいなと。

「LEGO」と「エデュテイメント」と「まちづくり」で何をしたいか、その答えというと大げさだけど、今自分の中の一つの考えとして書き残しているものはこれです。


「この町と共に育む [ co-ik ] コーイック」(仮)


ではまた~。

1コメント

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  • Yamamon

    2018.03.16 14:06

    コーイック、かっこいい。

ぱーそなるえふぇくつ

Personal Effectsとは「私物」のこと。 岩手出身の私“Meloky(メロキィ)”が、気の向くまま・思いつくがままに書き綴るBlog。趣味、家族、仕事、本、食事、音楽について、他にも喜び・憤り・哀しみ・楽しみ・悩みなどの喜怒哀楽や、普段は口にしないような些細な事など、包み隠さず書きなぐるそんな場所。 私のDJ MIX音源もここから聴いていただく事ができますよ。