浮かび上がる人生の過渡期 過呼吸を堪えてでも開け悟り 希薄な気迫と気楽な気まぐれが気を掻き立てる

父親が先日の誕生日で70歳になり、所謂古希を迎える。何の気なくいつもどおり、誕生日祝いを実家に送ったんだけど、ふと、もう70歳なのか・・・と思った。そりゃそうか、おれも30超えた訳だし。

「古希」ってのは、私の好きな漢文の出番ですが、杜甫が「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」って詩を詠んだことから、70=古希ってなったわけなんだけど、まぁ、それぐらい昔はその年まで生きる事は稀なことだったんだね。



そんな父親から先日「帰ってこないのか?」のメール。
この文章をそのまま読めば「たまには帰ってこいよ」という意味なんだけど、親子だから分かるというか、用件のみのメールの前後の脈絡と、あとは普段のメールとは違った、なんというか、いわゆる一種の重苦しさというか、含んだ言い方から、勘付くというか。

つまり予測するに・・・予測とは言っても、それは明確に明白な正解に限りなく近い意味での予測でもあるのだけど、「(岩手に)帰ってくる気はないのか?」であり、それは踏み込むところの長男として「家督を継いで欲しい」という意味であると察したわけです。(※この回りくどい書き方は西尾維新をイメージしてみた)




今の会社に入りちょうど1年が経過し、このブログを立ち上げてからもうすぐ1年半が経とうとしている。あっという間の1年だったし、落ち着く間もなく、この春からまた賑やかで忙しくなるのが目に見えている。これからが大変で、そしてより楽しくなるのだろう。

思い返せば、8月の拠点のオープンから、運営の仕組みづくりというものに従事して、何が正解かも分からないまま走りながら整えてきた訳だけど、半年近く経過してなんとかそれなりにルールもでき、機能するようになってきた。俺中心にやってきた各ルーティンも今では少しずつ引継ぎを行い、脱・俗人化に向かっているので、チームとして強くなってきたなと感じる。



近い将来に関して大きな決断をしなければならないので、3月に一度帰ろうと思っています。
自分のことなんだけど、今はまだどういう決断ができるかはまだ分からない。でもどちらにせよ、これはとてもいい機会だと俺は捉えていて、自分しかできない仕事を無くし、チームとして取り組むというスタンスを追求しようと思えた。



この年になっても将来何をしたいのかが分からないのはかっこ悪いことかも知れない。でも最近は、俺が必要とされているところで俺に何ができるのかを考えることだって、決して悪いことじゃないと思えているんだ。こんなことを言うと「自分が無い」と言われるかもしれないけど、「自分が無い」のが「自分」であり、だからこそアジャストできることもあるし、そもそも俺を良く知っている人は俺がどれだけ我が強いかも知っているだろうからね。自分が無いとは思ったことがないよ。でも、面白いことに、こんな日に限ってWantedlyから新しいスカウトメールが届く。それがまた、ものすごく魅力的な会社に見えてね、甲斐性は無いのかもしれない、俺・・・なんて(笑)


今年のおみくじによると、「運勢はのぼり調子だけど、勇み足にきをつけること」だそうだ。
間違いなくここが人生のひとつの大きな岐路になるんだろうな。

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ぱーそなるえふぇくつ

Personal Effectsとは「私物」のこと。 岩手出身の私“Meloky(メロキィ)”が、気の向くまま・思いつくがままに書き綴るBlog。趣味、家族、仕事、本、食事、音楽について、他にも喜び・憤り・哀しみ・楽しみ・悩みなどの喜怒哀楽や、普段は口にしないような些細な事など、包み隠さず書きなぐるそんな場所。 私のDJ MIX音源もここから聴いていただく事ができますよ。