親しみを感じるのは、言葉の選び方やセンスが近い人

ここ数日で、言葉の選び方が自分の感覚に近い人に数人出会った。

数年ぶりにあった人、数日前に出会った人、初めて知り合った人・・・・いろんな人。


そういう人と話すと、無条件に楽しくなってしまい、ずっと話していたいという気持ちになるものでして。まぁ、そんな個人的な感情を伝えるわけもなく、当然ながらずっと話し続ける無理なのは分かってるんだけどね。その人には気付くはずもないであろう自分のテンションの高まりを内に押し殺して接しています。内心は尻尾を振り続ける犬のようですよ、まったく。


こうやって振り返ると、決して国語とか本とか好きじゃなかったのに、言葉という厄介なもんに自分が縛られているという気がするわけです。それを疎ましいと思いつつも、言葉への愛着と執着と言うものが日に日に増しているという矛盾。




そういえば先日、小田原に居を構える老舗珈琲店:スズアコーヒーさんからコーヒーのサンプルいただいて以来、珈琲熱が少し再燃しました。それはコーヒーポットのお湯のように、ゆっくりじわじわとそして最後にはカタカタカタカタと蓋が震えるほどに。



ドリップをするには、しっかりと一極集中でお湯をかけることができるようなコーヒーポットがあったほうが良いと思った格好から入りたがりの私は、コーヒーポットへの思いが日に日に増してしまい、表参道、原宿、自由が丘、横浜・・・と行く所行く所、お店を見つけては入り探し続けていました。フラフラフラフラと徘徊。「kalita×燕」のお洒落な銅ポットとか、海外のスマートで美しい曲線の注ぎ口を持つポットとか。どれも素敵だけど、良いやつは高い。





諦めにも似たそんな感情が表れたとき、自分の流行文句であり、自らを戒めるワード

「有ったら良いものは、無くても良いもの」

が頭をよぎったのですが、フラッと最寄駅にある昔ながらの金物屋に足を踏み入れてみました。存在は知っていたけど、入るのは初めて。




中には、古めかしいパッケージの商品と、比較的新しめの商品が混在する店頭で、目に飛び込んできたコーヒーポット。



Noda Horo(野田琺瑯)のGiraffe印。

手にとって見ていたら、後ろから現れたなんとも味のある白髪の店主。この商品の良さ、先日このポットを求めて柿生でケーキ屋を開業した人が4つも買いに来たというエピソードなどを色々気さくに語ってくれました。


その後も、この町の駅前の発展についてや、このお店の歴史など、琺瑯製品への思い。いろんな話に花が咲きました。ちなみに、この店はお母さんの代から始まり、その後を継いで60年を超えるのだとか。ご主人は75歳。駅前開発でこの土地を譲ってくれと言う電話が最近はたえないのだとか。手放して、新しく場所を借りてやるほど金物屋は儲からないのは分かっている。でも、この町の発展には可能な限り協力していこうと思っているって話してくれました。




大半「へぇ~」って聞き入ってばかりで、気付いたら30分くらい話したのかな。彼の語るエピソードと、この店内と、店主の顔に刻まれた年輪が相まって、言葉以上のものを勝手に感じ取ってしまいました。そしてここで出会ったコーヒーポットを買うことに決めました。そして帰り際、ご主人が、「良かったらコレ使ってよ」って、このポットにも使えそうな、かわいらしい竹製のなべ敷きを袋に入れてくれました。


この量産されたであろうポットの形も色も勿論気に入ったけど、それ以上にご主人と話した思い出などもこのポットに入り込んだ気がして、世界で一つのポットと出会った気分です。


今度はここにミルクパンを買いに来ようと思います。

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ぱーそなるえふぇくつ

Personal Effectsとは「私物」のこと。 岩手出身の私“Meloky(メロキィ)”が、気の向くまま・思いつくがままに書き綴るBlog。趣味、家族、仕事、本、食事、音楽について、他にも喜び・憤り・哀しみ・楽しみ・悩みなどの喜怒哀楽や、普段は口にしないような些細な事など、包み隠さず書きなぐるそんな場所。 私のDJ MIX音源もここから聴いていただく事ができますよ。